びんび家の歴史

びんび家の歴史イメージ01

母の干物づくり

徳島と香川の県境にほど近い漁師町、北灘町粟田に開店当時からびんび家はある。現社長の母親が結婚を機に、水産物加工を行っていた夫の両親の手伝いを子育てのかたわらに、はじめたのがきっかけだった。海と山に挟まれた現在の店舗の建つ場所には、きれいな湧き水が流れる谷があったという。母親は、そこに木造の小屋を建て、そこで干物をつくり始めた。周囲には家屋もなく、山と海に挟まれた道が続いているだけだった。

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空腹のドライバーとの出会い

自然に囲まれたら静かな北灘の町が様変わりしたのは、昭和30年を過ぎた頃だった。徳島市内から高松市内を経由して愛媛県まで続く国道11号が整備され、バスやトラックなどの車が頻繁に行き来するようになった。ある日、腹を空かせたドライバーが、何か食わせてほしいと小屋に飛び込んできた。母親は、干物を焼いて食べさせた。その後も、たびたびやってくる空腹のドライバーたちに、漁港でとれた魚をさばき、見よう見まねで覚えた手料理をふるまった。

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賑わう「びんびの家」

そのうち、もっと新鮮な刺身を提供したいと考え、店先に水槽を設けた。木造の小屋も少しずつ改装し、常連客を迎え入れるようになった。店名には、魚を意味する方言「びんび」からとって『びんびの家』とした。後に『びんびの家』は『びんび家』へとさらに呼びやすく改名され、国道を通るドライバーだけでなく、家族連れやカップルなどの客も増え、賑わうようになった。徳島と香川の県境にある国道沿いの店の話は、口伝に広まっていった。

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活きの良さを求めて

昔ながらの大衆食堂の雰囲気を残した店構え、店前の小島が浮かぶ瀬戸内海の風景も人が集まる要因になっている。客から注文が入ると、スタッフの威勢のいい声が店内に響く。その活気も漁師町らしいといわれた。店頭のいけすで泳ぐハマチを引き上げ、手際よくさばいて刺身にする。大きめの椀に近海で採れた鳴門わかめがたっぷり入った味噌汁を添えた刺身定食や豪快な天ぷら盛り合わせなども人気メニューだ。休日は県内外からお客がやってくる。店の駐車場は満杯になり、行列ができることもあった。環境が変わることから始まった店は、これからも変わらずに漁師町ならではの活きのいい料理を提供しつづけたい。

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